Sunday, September 16, 2012

野生の感覚を取り戻す


Keiko:小学校時代にもう「時間と空間とは」なんて考えるような、
不思議な子供だったからね。
あまり周りに馴染んでいなかったの。

でも一応、みんなとは仲良しだったのね。
遊びという部分では馴染んでいるんだけど、本質の部分で、あまり子供の会話の中では
分かち合えないっていう自分を感じていた。
たぶんみんなもそうなのかな、とも思うけれどね。
そういう部分(本質を表現すること)が、あまり社会的に表に出されていない
社会だったからね。
見えないものが見えたらダメな世界だったじゃない? 
だからそういうものを隠していた。

見えないものを見えてないフリをしたり、分かってないフリをしたりね。
ほんとはもう、会話をしている会話の背後にあるものが、全部見えている。
でも分かってないフリをずっとしていたのね。

わたし、メンドシーノ(カリフォルニア州)の山奥に十何年も暮らしたのね。
コンピューターもなかったし、電話もなかった。本当になにもなかったの。
そのときに、野性的な感覚がものすごく研ぎすまされたのね。

たまに日本に帰ると、実家は名古屋駅の近くだからね、電車が通っているトンネルを
歩いていると、耳のチャクラが開いちゃってるから、爆音でキィーンとするの。
「助けて~頭が割れるー」という感じになっていたの。

その時に、野生の動物っていうのは街には住めないなって思った。
自分で自分の事を、野生の動物だって思っていた。

VW:全部が、研ぎすまされてね。

Keiko:そう。
やっぱり街の暮らしをしていると、(チャクラが)開いたままだと、こころも耳も目も
不都合だし、暮らせない。
いろんな雑音とか、騒音とか、視覚的なものだって、スピーディで移り変わりが
すごいじゃない。
テレビなんかもそうだしね。

そういうものを、チャクラが開いている目で見たら大変なの。
ハートもそうだしね、人々はけっこう… びっくりするくらい意地悪だったり。
そういうこともあるじゃない?
やっぱり開いたままだと傷ついちゃうからね。

知らず知らずに閉じてしまっている。
閉じようっていうんじゃなくて、サバイブする(生き残る)ために
みんな閉じてしまっている。
それが今の現代人だと思うのよね。

少しずつ自然の中に還ろうっていうのは、昔ながらの生き方をしようというよりも、
少しずつ自分の中の野生を取り戻すために、そういう自然の環境に身を置くように
しましょうっていうのを、いま実験的にしている。

夜、懐中電灯もなく裸足で歩いたり。 
満月の日はとても明るいけど、新月の日は真っ暗闇…
でも真っ暗闇の中で、懐中電灯も無しで歩いていると、目が開いてきて見えるように
なってくる。
そういう能力を培うために、子供達と懐中電灯無しで街から歩いたりね。(笑)

VW:トレーニング。

Keiko:トレーニング。 うちの子供達、どこにでも寝られるように、生まれた時から
枕は使わせていない。
自分がそうじゃない環境で生まれ育ったから、野生の中に入った時に
結構苦労したんだよね。
枕が変わったら眠れなかったりね。

旅をする時にね、どこへ行ってもすぐその場所に入れるような、
そう育って欲しいなって思っていたからね。
わたしにできる事は、赤ちゃんの時から枕無しで寝せたり、
固いあまりふわふわじゃない布団の上に寝せたり、そういうことだった。

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