Keiko:まず自分が幸せだということ。それが最初にある。
子供達に学んで欲しい事ってそういう事なの。
子供の為に我慢している親を学んでもらうよりは、まず幸せをどう描いているかという親の姿を見て、
彼らも同じように、自分たちのチカラで幸せになって欲しい。
親のチカラで幸せになるよりはね。それはすごく思う。
たくましく育って欲しいと思う。
VW:そうね。でも二人とも(Keiko Forestの二人の娘)素直よね。
Keiko:うん。すごくありがたい。
VW:子供達も、ちゃんとリッチと言いたい事言い合ってるしね。
Keiko:そうなの。(笑)
VW:ラブラブとか見せられてもね。
Keiko:ラブラブを見せられても、結構包容力がある。
VW:大概の親って、気持ちがもう相手になくても我慢したり、子供の前で繕ったりするじゃない?
そういうのが全くないですね、ここは。
Keiko:全くない。昔の村みたいな感じ。
例えば女の人が農作業しながら、川で洗濯しながら井戸端会議をして、
おばあちゃんやおばさんがあはははと笑っているような村。
いろんな年代の人が、自分の意見を持って話している、
そういうのを聞いて小さな子達が育っていく。
そんな村のようなもの… それが理想だから。
良い悪いってのをわざわざ教えるっていうんじゃなくてね。
日常的な井戸端会議で育って欲しい。
昔は多分すごい小さい空間をシェア(共有)して暮らしていたと思うから、
家庭の中で、性の営みが普通にある暮らしだったと思う。
それはラブホテルに行ってする事じゃなくて、ベットの中だけでする事でもなく、
常にある… 生活の中にある愛の交流。
それぐらいいつも瞬間的に生きていきたいって思うし、いつも自分の瞬間の想いに敏感でいたい。
愛のエネルギーがお互いに歩み寄った時には、もうめちゃくちゃハグするし、キスするし、いろんな事するしね。
そこに子供がいたって、それはもう全体のダイナミクス。
子供にとっても、(性についての)情報は、なかったり隠されているものではなく、もっとあっけらかんとした美しい行為。
でももう子供達の中に、映画なんかでいっぱい情報が入っちゃってるからね。
子供達の中で、それを”悪いもの”のように見る意識は、すでに育ってしまっている。
「うー気持ち悪い!」なんて言われたりするけど、
そういう時に「違うでしょう? すごく美しいことだし、みんなそこから生まれて来たんだよ。
あなた達もそうやってできてきた子供だし、すべての生命がそうやってできるの。
それはものすごく美しいことなんだよ。」って話す機会にもなるからね。
わたし達はボーダーレスでやってるんですよ。いろいろと。(笑)
VW:それはもう、ほんとに素晴らしいなと思って、ここで体験させていただいてます。
Keiko:大人もみんなぎょっとするんだけどね。目の前でいきなりいろんな事するから。(笑)
VW:でもまぁ それを見るのは初めてじゃないですからね。私は。(笑)
Keiko:今は「ああ あの人達は」って感じだけど 、”よく見る光景”になって欲しいよね。
「あの人達」がたくさんになって、それが 日常的な 普通の風景。
そういうところに戻っていって欲しいなと思っている。
ヒッピーとか、 名前を付けられて 呼ばれたくないのね。
ある時はヒッピーだし、ある時は別のいろんな何か。 自分の中には いろんな部分があるわけだから…
固い部分も柔らかい部分もあるわけだからね。
そういうのも全部ひっくるめて人間らしく生きていたいなぁと思う。
VW:うん 賛成賛成。
Keiko:ね。気がつかないうちに、いろいろ判断を下しているの。
反対に子供から受けるエネルギーで、「何そんな風に判断しているの?」と思ったりもするよね。
自分も知らない間に判断を下しているんだなぁと逆に気づかされたりする。
常に隠し事だけはしないようにしているの。
子供達も、やりたい事があったら話して欲しいし、秘密だけは無しでいて欲しい。
隠すのは無し。
それはよくないな、と思ったら、わたし達によくないって言う機会を与えて欲しい。